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余は如何にして基督信徒となりし乎 (岩波文庫 青 119-2)
発売日:1958-01 |
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余は如何にして基督信徒となりし乎 (岩波文庫 青 119-2)のレビュー・感想
余は如何にして不敬となりしか
本書は著者・内村の改宗とその後の葛藤、キリスト教理解の深化を自伝的に綴ったものだが、正直、完成度の低さに驚く。まず、逐語的日本語訳が目につく。文章のバランスは悪く語順もまどろっこしいし、「この箇所、原文ではwillだろうな」、「ここはmustだな」と見当のついてしまう不自然な未来形や推量が多々あり、なんだかいたたまれない気分になる。内容面では、無反省から来ると思われる単純化・戯画化が目立ち、内村...
古めかしい翻訳だが、内容が実に面白い。英語版が欲しい!
札幌農学校で外国支援を受けぬ日本人教会設立に奔走する著者の努力に敬服した。私自身地元の教会の草創期に関わった者として、多くの共通点を見出し、いやが上にも共感を深めた。もったいないから未だ読了していませんガネ。
アメリカに留学する人に是非とも薦めたい本
表題の通り、キリスト教徒としての著者の内面の軌跡をつづった本だが、キリスト教信仰に留まらず、広く訴える内容をもった本である。特に比重が大きいのは、アメリカ体験と「日本人」としての自我の探求というテーマだろう。
札幌農学校でキリスト教に触れた内村は、無垢で非現実的な「キリスト教国」のイメージを抱いて海を渡る。しかし彼は、金銭が支配するアメリカ社会に幻滅し、「日本人」としての自分を見出して...
現世的効能もまた
自身の日記をもとにした、回心の告白。
渡米後、神学書をひもといて信仰を深めていくその内容については、本書に詳細が語られているわけではない。日本での学生生活とその時期の回心については、当時の雰囲気を伝えていて興味深い。神学的な意味で中身のある文章ではなく、回心の過程もキリスト教徒以外には無意味に思える。
異教徒としての日本人が本書から得るのは、その時代の暮らしぶりと、著者の心情だ...
ズバリ、和風キルケゴール。「信」へ至る魂の軌跡。
キリスト教に出会い、信仰と思索を深めていった過程を綴った若き頃の自分自身の日記。それについて、後日注釈しつつ振り返る、という凝った体裁を
とっている。自伝的要素は濃厚にせよ、どこかしらフィクションの香りすら
漂ってくる。勿論、いい意味でだが。
キリスト教に初めてふれて、信仰に目覚めるまでの冒頭がまず笑わせる。
学校で半ばいやいやながら契約書に書名させられてサークルに入会。
ところ...

